「妥協しない治療」の裏側にあるもの
院長 歯科医師 歯学博士 大川内秀幸 おおかわち ひでゆき
この言葉には、私が歯科医師として歩んできた道のり、そしてこれからの未来に向けた決意のすべてが込められています。
■ このページでは臨床以外の話をします
当ウェブサイトは院長である大川内秀幸がすべて一人で作製しております。写真は一部プロの方に撮影していただいたものもありますが、文章や症例写真など、他人のものは一つもありません。HTMLもCSSもすべて私の手書きです。臨床に対しての熱意は、診療内容説明ページからしっかり伝わると思いますので、こちらではまた別のお話をさせていただけたらと思います。
■ 原点 ― 沖縄の海と、歯科への憧れ
1981年5月20日、私は沖縄で生まれました。澄み切った青い海と鮮やかな自然の中で育った私は、幼い頃からものづくりや絵を描くことに夢中な子どもでした。図工や美術の時間が大好きで、気がつくと細かな作業に没頭していました。
そんな私が初めて「歯科医師」という職業に惹かれたのは、小学生の頃。通っていた歯医者さんで目にした、診療チェアのそばに置かれていた“リアルな歯の模型”がきっかけでした。あの立体的で精密な造形に、不思議と心を奪われ、「いいなぁ」と思ったのです。今思えば、ちょっと変わった子どもだったかもしれませんが、あの瞬間の感動が、今の私の原点になっているのは間違いありません。
■ 九州大学で育まれた探究心と、デジタルへの情熱
高校卒業後、九州大学歯学部に進学しました。ここは歯学だけでなく、幅広い学問領域が交差する総合大学。私は、せっかくの機会を活かそうと、歯学部の枠を飛び出し、全学の「パソコン同好会」に所属することにしました。
そこには、理学部や工学部、情報学系の学生たちがいて、彼らと肩を並べてHTMLやCSS、JavaScriptなどの言語を一から学びました。当時はウェブデザインが流行り始めた頃で、手書きでコードを打ち、0からサイトを作るのが楽しくて仕方ありませんでした。歯学部生でありながら、気づけば部長にまでなっていました。
この時に得たPCスキルは、大学院時代の研究活動や、今のデジタル歯科治療、さらには院内のIT管理やマニュアル整備にまで活かされています。余談ですが、当時の部活仲間は今やGoogleやパナソニックなど、名だたる企業で活躍中です。年に一度の同窓会で再会するたびに、企業と医療の違いを感じつつ、互いの成長を喜び合える仲間がいるのは、私の宝です。
■ 教える喜びと、承認欲求
研修医も九大で続け、臨床・教育・研究すべてに携わりたいという想いから、大学院に進学しました。この頃、私はある“自分の性質”に気づきます。それは、「人に教えることで満足感を得る」ということです。ちょっと恥ずかしい話ですが、承認欲求が強いんですね(笑)。
ただ、これは決してマイナスではなく、歯科医師として成長する中で、教育者としての役割にも誇りを持つようになりました。大学院時代には、教える立場として後輩や学生に知識や技術を伝える機会も多くありましたし、現在では勤務医や若手歯科医師に向けたセミナーや情報発信も行っています。私が惜しみなく知識を共有する理由の一つには、「もっと多くの人に正しい医療を届けたい」という想いと、根底にある“褒められたい欲求”があるかもしれません(笑)。
■ 大学院での学びと、人との出会い
大学院では、咀嚼機能再建学(現在のインプラント・義歯補綴学)に所属し、「チタンと軟組織の親和性」に関する研究に取り組みました。実験のためにチタンとハイドロキシアパタイトのディスクを取り寄せ、細胞を培養し、時間ごとに変化を観察する日々。休日や祝日も関係なく、研究室にこもって作業していました。
この研究で得た「論理的に物事を考え、正確に積み上げる力」は、今の治療や診断にも活きています。大学院では、数々の恩師と出会いました。現教授の鮎川先生には、PCスキルでも初めて“負けた”経験をしました。何を聞いても即答できる知識量、文章力、プレゼン力、そのすべてに圧倒されました。また、古谷野先生、松下先生、荻野先生、現教授の熱田先生――名前を挙げればキリがありませんが、どの先生も私の進路に大きな影響を与えてくださった、尊敬する方々です。
この大学院での4年間は、研究者として、臨床家として、人間としての土台を築いた、大切な時間でした。
■ 経営の現実と、理想の医療の両立
大学院修了後、私は福岡県内の歯科医院で勤務することになります。ここで、ある意味「現実」を突きつけられることになりました。
それは、「経営が回らなければ、どんなに良い医療も継続できない」という事実です。
大学では、材料費が多少かかっても、高度な技術や最新の設備を試すことができました。しかし、開業医として日々の収支を見ながら運営していく現場では、話はまったく別です。
例えば、滅菌。これは歯科医療において絶対に欠かせない工程です。使い捨てできない高価な器具を高温高圧で何度も滅菌すれば、その寿命はどんどん短くなっていきます。開業して一番の衝撃だったかもしれません。勤務医だった頃は何年も同じ器具が当たり前のように使えていたのに、正しく推奨されている方法や頻度で滅菌操作を行うとあっという間に器具がダメになっていくのです。タービンやスケーラーなどのハンドピースは1本数万円~十数万円。最も高いエアスケーラーは20万以上します。それを患者様ごとに滅菌するというのは、コスト的にはものすごい負担です。滅菌操作自体もお金がかかり、まず純水を使わないと滅菌機がすぐ壊れるので、精製水を作る装置で毎月フィルター代で二万円、それでも高性能な滅菌機ほど細かく故障するので、故障のたびに数万円から十数万円。多くの個人医院、特に家族経営の医院で滅菌がずさんになる理由は、単に面倒だからという理由ではなく、コストだったのだなと痛感しました。
では、それをやめれば?確かに費用は抑えられます。しかし、絶対に妥協できない部分です。倫理的な面だけでなく、これは雇用スタッフや勤務医の目がある大きな医院では絶対妥協できない部分にもなります。優秀で誠実な人ほど、滅菌が適当なところでは働きたくないという信念を持っているからです。最近は特に都会ではドクター一人診療をしている医院も増えてきました。話を聞くと、人を雇う必要がない分、ものすごくコストを抑えられるそうで、医院の年商は少ないのに、先生の年収はすごいことになってました。確かにそうだろうと思います。開業資金や運営費人件費がどんどん高騰していく昨今、こういう医院形態はますます増えていくのだろうと思いました。
このように、本当に誠実な医療を続けるには、経営的な健全性も同時に確保しなければなりません。
さらに言えば、保険診療の枠組みだけでは、どうしても「とりあえず機能を回復する」という最低限の治療になりがちです。審美性、快適性、そして長期的な耐久性といった、患者様の「本当の意味での幸せ」を叶えるには、自由診療が不可欠になることがあります。
私はこの時期、改めて強く思いました。「患者様にとってベストな治療を実現したい。そのためには、自費治療を提案できる力、受け入れていただける信頼、そして経営基盤の安定。この3つが揃って初めて、真に“妥協しない医療”が提供できるのだ」と。
その想いが、私を「開業」へと突き動かしていきます。
■ 開業と、その先に描いた未来
2015年、私は福岡県宗像市にて「くりえいと歯科おおかわちクリニック」を開院しました。場所として宗像を選んだのは、地域に根ざした医療を行いたかったこと、そしてマイクロスコープを活用した精密歯科治療を、まだ誰も提供していなかった土地で実現したかったからです。
当初から掲げていたのは、“マイクロスコープ常用による高精度の診療体制の構築”です。これは、言葉にするほど簡単なことではありません。視野を拡大すればするほど、治療は繊細さを要求され、スタッフも相応の理解と技術を持つ必要があります。しかしそれでも、歯科医師として「ここまでできる」という上限を自ら下げたくなかった。患者様の“最後の砦”になれる医院でありたい。その一心でした。
ただ、理想を追求する中で最も悩んだのが、スタッフマネジメントです。
私はとにかく仕事人間で、開業当初は「患者様の利便性第一!」と考えて、夜20時まで診療する体制にしていました。しかし、実際にはその時間まで働けるスタッフを確保することが難しく、結果的に予約枠を制限せざるを得ない状況に。患者様にとって良いはずの制度が、逆に足を引っ張る結果となってしまったのです。
そこで私は、診療時間を見直しました。朝9時から夕方5時半までに変更し、代わりに昼休みを交代制にすることで、診療受付時間は保ちつつ、スタッフの勤務負担を軽減。こうした“スタッフの働きやすさ”を重視した制度設計に舵を切ったことで、少しずつ優秀な人材が集まってくるようになりました。
そして気づけば、教育制度も整い、技術力も高まり、治療の質も向上。今では専門的な施術にも積極的に関わってくれるスタッフに囲まれ、まさに「チームで妥協しない治療を提供する」体制が整いつつあります。
この流れを止めたくない。だから私は、開業から現在に至るまで、進化を止めることなく、常に挑戦し続けています。
一人ではできなかったことが、仲間となら実現できる。その喜びを、私は日々感じながら診療にあたっています。
開業はゴールではなく、スタートでした。
今もなお、理想の医院づくりは道半ばです。しかし、確実に言えることがあります。
それは、「信じる医療を、信じる仲間と共に届ける」ことの尊さ。
これからも、“妥協しない治療を、チームで。”この信念のもと、歩み続けてまいります。
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